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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)563号 判決

原告

牧喜美子

小森石子

右両名訴訟代理人

本村俊学

被告

押川諭治

押川岩男

右両名訴訟代理人

石塚久

主文

(一)  被告らは各自

1  原告牧喜美子に対し金七九万二、七三〇円および内金六七万二、七三〇円に対する昭和四六年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

2  同小森石子に対し金一〇万円およびこれに対する昭和四六年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

(二)  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

(三)  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告らの連帯負担、その余を原告らの連帯負担とする。

(四)  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の申立

一、請求の趣旨

(一)  被告らは各自、原告牧喜美子に対し金七六〇万円および内金六九〇万円に対する昭和四六年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、同小森に対し金三〇万円およびこれに対する右同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(三)  仮執行の宣言を求める。

二、請求の趣旨に対する被告らの答弁

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

(一)  事故の発生

昭和四六年一月三〇日午後九時五五分頃東京都保谷市泉町三丁目一七番一五号先交差点において、被告押川諭治(以下「被告諭治」という。)運転の自動二輪車(練馬ま一六六〇号、以下「加害車」という。)と訴外牧躬知男(以下「訴外躬知男」という。)運転、原告牧喜美子(以下「原告喜美子」という。)および同小森同乗の普通乗用車(練馬五ほ八三〇五号、以下「被害車」という。)とが衝突した。

(二)  被告らの責任

1 被告諭治は、加害車を所有し自己のため運行の用に供していたものである。

2(1) 同押川岩男(以下「被告岩男」という。)は、同諭治とともに加害車を自己のため運行の用に供していたものである。

(2) 同被告は、被告諭治が加害車を購入するにあたり、保険に加入すべきことや、当時高校生の無暴運転により交通事故が多発していたから極力運転は差し控えるように、特に夜間にレジヤー目的で使用する場合は詳細を確め、場合によつては運転を禁止するなどの注意をすべきであつた。また本件事故当時も、夜の九時頃友人の家に行くということで運転しており、かつ本件事故現場は初めて通るところで道路にも不案内であつたから、事情をよく確めて運転を禁止するなどの厳重な注意をなすべきであつた。しかるに、被告岩男は、右監督義務を怠り、単に運転には注意するようにと言つただけで、被告諭治が加害車を運転することを許容していた過失がある。

(三)  原告らの傷害および後遺症

1 原告喜美子は、本件事故により、左前胸部・左下腿上部打撲、頸部捻挫の傷害を負い、事故当日から長期間入通院治療したが、なお頸部から後頭部にかけての痛み、めまい、耳鳴り、右手指の知覚低下、霧視感等中枢神経系および末梢神経系の障害のため日常生活に相当程度の支障を来たす後遺症がある。

2 原告小森は、尾骨々折、右腕関節打撲、左下腿打撲の傷害を負い、通院治療した。

(四)  原告喜美子の損害

1治療費 金二八万三、八〇七円

ただし、佐々病院分金一九万八、〇九〇円、八代クリニツク分金七、六三二円、品沢整骨院分金六万二、二五〇円、順天堂病院分金一万五、八三五円である。

2付添看護料 金三万三、〇〇〇円

3交通費 金一一万八、五四〇円

4入院雑費 金二万六、七〇〇円

5休業損害 金二四〇万円

本件事故当日から昭和四九年五月二四日までの分

6逸失利益 金四六二万三、二二六円

労働能力喪失率四五パーセント、継続期間二〇年間、月収金六万八、七〇〇円として、ライプニツツ方式により中間利息を控除した。本件事故時の現価である。

7慰謝料 金三八〇万円

8弁護士費用 金七〇万円

(五)  原告小森の損害

慰謝料として金三〇万円

(六)  損害の填補

原告喜美子は、自賠責保険から金四三六万円の填補を受けた。

(七)  結論

よつて、被告ら各自に対し、原告喜美子は未だ填補されない金七六二万五、二七三円の内金七六〇万円およびこれから弁護士費用分金七〇万円を控除した残金六九〇万円に対する本件事故発生の日である昭和四六年一月三〇日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の、同小森は金三〇万円およびこれに対する右昭和四六年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二、請求原因に対する被告らの答弁

(一)  請求原因(一)の事実を認める。

(二)  同(二)のうち、1の事実を認め、2の事実を否認する。

(三)  同(三)の事実は不知。なお仮に後遺症があるとしても、本件事故との間に相当因果関係がない。

(四)  同(四)のうち、1ないし4の事実は不知、5および6の事実を否認し、7および8の金額を争う。

(五)  同(五)の金額を争う。

(六)  同(六)の事実を認める。

三、被告らの主張

本件事故発生については、被害車の運転者である原告喜美子の夫訴外躬知男にも次の過失がある。すなわち、同訴外人は、制限速度時速四〇粁を超える時速六〇粁で走行し、しかも前方注視を怠つたために、右方から交差点に進入した加害車の発車が遅れ、適切な減速等の措置を取りえず加害車に衝突し、しかもその後ハンドル操作を誤り、道路左側に駐車中の自動車に加害車をはさみ込むような形で追突したものである。右訴外人の過失は被害車側の過失として、原告喜美子の損害について過失相殺の対象とすべきものである。

四、被告らの主張に対する原告らの答弁

被告らの主張事実を否認する。

第三  証拠関係〈略〉

理由

一事故の発生

請求原因(一)の事実は当事者間に争いがない。

二被告らの責任

(一)  被告諭治が、加害車を所有し自己のため運行の用に供していたものであることは、当事者間に争いがない。

(二)  そこで、被告岩男の責任について考える。

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

被告諭治は、昭和二九年三月一三日生れで、本件事故当時一六才一〇月の高校二年生であつた。同被告は、高校一年生の頃から夏休みなどにアルバイトをしており、高校二年生になつてからはほとんど毎日ビル掃除のアルバイトをして一ケ月に金二万円位の収入を得ていたところ、昭和四五年四月二〇日原付免許を取得し、その頃金七万二、〇〇〇円位の原動機付自転車を月賦購入し、その後同年一一月二四日二輪免許を取得し、その頃排気量三五〇CCの加害車を、前記原動機付自転車を下取りに出し、残金二三万円位を二四回の月賦払として購入し、アルバイトのための通勤や娯楽のために使用していた。右加害車の購入に当り、両親の承諾を得たが、代金の支払については援助を受けず、またガソリン代等の維持管理費用についても援助を受けないで、すべて被告諭治がアルバイトで得た収入から支払つていた。なお加害車の登録名義人も被告諭治となつており、自賠責保険金も同被告が支払つていたが、任意保険については、高校生に事故が多いとの理由で拒否されたため、本件事故当時未だ加入していなかつた。

被告岩男は、同諭治の父親であり、同被告の出生以来同被告と同居していたものであるところ、本件事故当時自宅で印刷業を営んでおり、二輪免許および普通免許を持ち、本件事故当時普通乗用車を所有して右営業のため使用していたが、加害車に乗つたことはなかつた。しかし、本件事故により被告諭治が負傷してアルバイトができなかつた期間である本件事故後三ケ月間位は、被告岩男が加害車の月賦代金を支払つた。

なお、被告論治の兄達生(本件事故当時一八才位)も本件事故当時二輪免許を持ち、排気量三五〇CCの自動二輪車を所有して使用していた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。この事実によると、加害車の保管には被告岩男の土地・家屋が使用され、また被告論治の生活費・学費等はすべて同岩男が負担していたものと推認される。

以上の事実によれば、被告論治は、アルバイトで得た収入によつて、自己名義で加害車を購入し、その維持費用を支弁して、加害車を自己のための用途に使用していたものではあるが、被告岩男による扶養がなければ、アルバイト収入だけでは自己の生活さえも維持できず、ましてや加害車を購入することが不可能であつたことは明白である。このように、独立して生活する能力を有しない学生である未成年の子被告論治が、自動車をアルバイト収入で購入して運行していても、その運行は、一家の中心である父親被告岩男の存在を通して初めて可能であつたものということができる(本件事故後被告論治が負傷したためアルバイトができず、その結果として加害車の月賦代金を支払うことができなくなつた期間、同岩男がその支払をした事実は、右のことを如実に物語るものといえる。)このような場合、被告岩男は、同論治を扶養している親権者として、同被告による加害者の運行に対し支配を及ぼすことのできる立場にあり、かつ、加害車を支配管理すべき責務を有するものというべきである。従つて、被告岩男もまた加害車を自己のため運行の用に供していたものである。

三過失相殺

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

本件事故現場付近の道路状況は、ほぼ別紙現場見取図記載のとおりで、南北に走る道路(以下「広路」という。)は、幅員約七米で東側に約0.3米の側溝があり、西側に約0.7米の未舗装部分があるが、その余はアスフアルトで舗装されており、また東西に走る道路(以下「狭路」という。)の東側部分は、幅員約3.5米のアスフアルト道路である。広路は、公安委員会により駐車禁止場所に指定され、また最高速度は時速四〇粁に制限されていた。狭路のうち本件事故現場の交差点(以下「本件交差点」という。)の東側部分は、東から西に向けての一方通行に指定されており、本件交差点がその出口となつていた。広路は、主要道路のため車両通行が比較的多く、狭路の東側は、車両通行が極めて少なかつた。

本件事故当時、別紙現場見取図記載のとおりのトタン塀があつたため、本件交差点の東側の道路と南側の道路とは、相互に見通しが不良であつた。また、本件事故現場付近は、ところどころに街灯があるが夜間は比較的暗かつた。

本件事故当時は曇天であつたところ、被告論治は、加害車を運転して、狭路の左側を東から西に向けて時速四〇粁位で進行し、本件交差点の二〇米位手前で交差点があることに気づき、減速して左右を見たところ、左側に被害車のライトが見えたが、十分先に通過できるものと判断し、直進しようとして、そのまま交差点に進入したところ、別紙現場見取図記載②付近で被害車と衝突した。

訴外躬知男は、妻である原告喜美子および妻の母である原告小森を同乗させて被害車を運転し、広路の左側を南から北に向けて時速四〇粁ないしそれをやや上廻る位の速度で進行中、別紙現場見取図記載付近で①付近を進行する加害車を認め、急ブレーキをかけて左転把したが、付近で加害車の左側面に被害車の前面を衝突させ、そのまま加害車を③付近まで押して、駐車車両に接触させ、被害車を付近に停止させた。

以上の事実が認められる。〈証拠〉には、訴外躬知男は、加害車を衝突してから被害車のブレーキをかけ、左転把したとの部分があるが、右部分は、前記認定の被害車のスリツプ痕の状況に照らしてたやすく措信しがたい。また、〈証拠〉には、右認定に反する部分があるが、右各部分はたやすく措信しがたい。他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右事実によれば、加害車も前照灯を点灯していたものと推認されるところ、訴外躬知男としても、本件交差点にさしかかつた際に、狭路から進入して来る車両があることを予測し、予め減速して前方左右を注視しておれば、早く加害車に気づくことができ、本件事故を回避しえたのに、被害車の進行道路が広路であることに気を許し、漫然本件交差点に進入したために本件事故を惹起するに至つたものと認められる。従つて、原告らの損害につき二〇パーセントの過失相殺をする。

四原告らの傷害および後遺症

(一)  原告喜美子について

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

原告喜美子は、本件事故により負傷し、佐々病院において、左前胸部・左下腿上部打撲症、頸椎捻挫(右前頸部筋圧痛、右腕神経叢圧痛、頸部運動制限)との病名のもとに、昭和四六年一月三〇日に通院治療したのち、翌三一日から同年二月二一日まで二二日間入院し、翌二二日から同年三月一九日までの間四回通院して治療し、八代クリニツクにおいて、頸部運動痛・鈍重感、右手指しびれ感、めまい、左前胸部痛を訴え、同月一二日から同年六月一九日までの間一二回通院治療し、品沢整骨院において、頸椎捻挫、右膝関節捻挫との病名のもとに、同年一一月一〇日から昭和四八年一月一七日までの間四〇回通院治療し、東京労災病院において、外傷性頭頸部症候群(その後外傷性小腸癒着症が加わる。)との病名のもとに、同年二月二日から同年九月三日までの間に七七回通院治療し、その後も通院治療している。なお同原告は、東京労災病院に昭和四八年六月二五日から同年八月三〇日まで六七日間入院したが、これは本件事故と因果関係のない腹部腫瘤によるものである。しかし右入院期間中、同原告は、外傷性頭頸部症候群に対する治療も受けていた。

同原告は、東京労災病院において、昭和四九年五月二四日症状が固定した旨診断されたが、なお、自覚的症状として頭頸部痛、右手指の知覚低下、めまい、耳鳴り、霧視感等があり、他覚的には、レントゲン検査上後頭骨線状骨折・第二頸椎棘突起剥離骨折痕、神経学的には上肢腱反射亢進、眼科的には輻輳不全があり、耳鼻科的には視運動性眼振および頭位変換眼振から小脳機能不全が疑われる状態にある。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(二)  原告小森について

〈証拠〉によれば、原告小森が本件事故により負傷し、昭和四六年一月三〇日から同年二月二〇日まで佐々病院において、原告喜美子の付添看護をするかたわら治療を受け、同月二五日から同年三月八日までの間四回有木外科・胃腸科に通院し、尾骨骨折の疑い、右腕関節・左下腿打撲傷との病名のもとに治療を受け、同日をもつて治癒した旨診断を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

〈証拠〉によれば、原告小森(明治三九年一月一五日生)は、服部外科胃腸科において、左足関節炎との病名のもとに、昭和四八年五月一八日から同月二五日までの間に八回、同年八月一五日から同月二五日までの間に一一回通院治療したことが認められる。そして、原告喜美子本人尋問の結果には、原告小森の右服部外科胃腸科における通院が本件事故による負傷によるものであるとの部分があるが、前記有木外科・胃腸科における診断内容、通院治療の空白期間および同原告の年令等に鑑みると、右通院治療が本件事故による傷害のためではないのではないかとの疑問が強く、未だ右本人尋問の結果だけで服部外科胃腸科における通院治療が本件事故と因果関係を有するものと認めることはできず、他に右因果関係を認めるに足りる証拠はない。

五原告らの損害

(一)  原告喜美子の損害

1  治療費 金二六万二、六七二円

〈証拠〉によれば、同原告が、佐々病院において金一九万二、七九〇円、八代クリニツクにおいて金七、六三二円、品沢整骨院において金六万二、二五〇円の治療費を要したことが認められる。原告は、佐々病院において金一九万八、〇九〇円を要した旨主張するが右認定以上にこれを認めるに足りる証拠はない。

同原告は、順天堂病院において金一万五、八三五円の治療費を要した旨主張するが、右主張を認めるに足りる証拠がないばかりでなく、証人兼鑑定人知識鉄郎尋問の結果に鑑み、同病院への通院は、未だ本件事故と因果関係を有するものとは言えない。

2  付添看護料 金三万三、〇〇〇円

〈証拠〉によれば、同原告が佐々病院に入院した前記期間中、絶対安静を必要とする状態であつたため同原告の母親が付添つたことが認められる。

右事実によれば、同原告の付添費用として、一日当り金一、五〇〇円合計金三万三、〇〇〇円を要したものと認めるのが相当である。

3  交通費 金八万八、六四〇円

〈証拠〉によれば、同原告が佐々病院から退院する際タクシーを利用したほか、同病院への通院に三往復タクシーを利用したこと、タクシー料金が片道金二、三〇〇円であつたこと、品沢整骨院への通院に四〇往復タクシーを利用し、その料金が片道金三一〇円であつたこと、タクシー以外に同院への交通機関がなかつたこと、東京労災病院の入退院時にタクシーを利用し合計金一万円を要したこと、同病院への通院には電車とタクシーを利用し、その料金として片道合計金六二〇円を要したこと、順天堂病院へは電車で通院し、片道金七〇円を要したこと、以上の事実が認められる。しかし前記認定事実によれば、労災病院における入院および順天堂病院への通院は本件事故と因果関係を有するものとは認められない。そして労災病院への通院回数は前記のとおり七七回である(同原告がそれ以上に通院していることも前記のとおりであるが、その回数は証拠上明らかでない。)から、結局、本件事故と因果関係を有する交通費は合計金八万八、六四〇円となる。

4  入院雑費 金六、六〇〇円

前記原告喜美子の本件事故と因果関係のある入院期間および同原告の傷害の程度に鑑み、入院雑費として一日当り金三〇〇円合計金六、六〇〇円を要したものと推認される。

5  休業損害および逸失利益

金三二〇万円

〈証拠〉によれば、同原告が昭和一四年一月四日生れの女子で、本件事故当時主婦として家事労働に従事していたほか、夫が玩具商をしているためその手伝をしていたことが認められる。

右事実によれば、同原告の収入について何らの証拠もない本件においては、同原告が全産業・全女子労働者・年令階層別平均給与額のうち、同原告と同年令の者の年収額と同程度の価値を有する労働をしていたものと推認されるところ、当裁判所に顕著な労働省の賃金構造基本統計調査等によれば、同原告の推定年収額は別紙計算書の「推定年収額」欄記載のとおりであると認められる(昭和四九年度は前年度の同年令者の年収の三割程度増であると認められる。)。

そして、前記原告喜美子の傷害、後遺症の程度、仕事内容等に鑑みると、同原告が本件事故により、本件事故の翌日である昭和四六年一月三一日から同年三月三一日まで一〇〇パーセント、同年四月一日から昭和四九年三月三一日まで(ただし昭和四八年六月二五日から同年八月三〇日までは零)六〇パーセント、同年四月一日から三年間四〇パーセント、その後五年間三〇パーセント程度労働能力を喪失したものと推認され、右労働能力喪失に伴う逸失利益の本件事故時の現価は、ライプニツツ方式により中間利息を控除すると、別紙計算書による計算を参考として、控え目にみて金三二〇万円を下らないものと推認される。

6  慰謝料 金二七〇万円

前記過失割合を除くその余の諸事情に鑑み、原告喜美子に対する慰謝料としては金二七〇万円が相当であると認める。

7  過失相殺および損害の填補

以上の合計は金六二九万〇九一二円となるところこれに二〇パーセントの過失相殺をすると被告らに請求しうべき分は金五〇三万二、七三〇円となる。そして、原告喜美子が自賠責保険から金四三六万円の填補を受けたことは当事者間に争いがないので、結局同原告が未だ填補を受けていない分は金六七万二、七三〇円となる。

8  弁護士費用 金一二万円

〈証拠〉によれば、同原告が本訴追行を弁護士に委任し、その費用として金七〇万円を支払う旨約したことが認められるが、本件事案の内容、訴訟経過、認容額等に鑑み、本件事故と因果関係を有するものとして被告らに請求しうべき分は金一二万円が相当であると認める。

(二)  原告小森の損害

前記原告小森の傷害、事故態様等諸般の事情に鑑み、同原告に対する慰謝料としては金一〇万円が相当であると認める。

六結論

以上述べたところによれば、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、原告喜美子が金七九万二、七三〇円およびこれから弁護士費用分金一二万円を控除した残金六七万二、七三〇円に対する本件事故発生の日である昭和四六年一月三〇日から支払ずみまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の、同小森が金一〇万円およびこれに対する昭和四六年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の、各支払を求める限度において理由があるから認容し、原告らのその余の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(瀬戸正義)

別紙 現場見取図〈略〉

計算書〈略〉

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